GRAND PRIZE
Regenerative Reliquary
Category : GENERAL
By Amy Karle (アメリカ)
Regenerative Reliquary(再生可能な聖遺物)は、3Dプリンターとヒトの幹細胞で作られた、人間の手の骨を再現した作品です。ヒドロゲル素材の一種PEGDAを3Dプリントして、手の骨格を作り、そこに成人ドナーから採取したヒトの間葉幹細胞を植え付けました。手の骨格は、バイオリアクターに入れられ、間葉幹細胞は徐々に組織へと成長し、石灰化して骨になります。 伝統的な遺体の展示方法を参考にした本作は、ガラス製のバイオリアクターという機械の子宮に収められた彫刻です。亡骸をかつて存在した生命の記念としてまつるのではなく、それとは逆のこと、つまり、無生物から生命の可能性を生み出すことを表しています。
生命と意識の形成には、人間の理解を超えた「知性」が存在していると思います。本作は科学的であると同時に精神的な作品であり、生命の神秘に対して疑問を投げかけます。
本作を作るにあたり、細胞を取り出して目的の臓器にしてから移植する、再生医療に注目しました。 デザインに手を選んだのは、人間のものであることを一目で認識できるからです。 細胞を使った治療がもつ可能性に加えて、私は、細胞のテクノロジー、アート、デザイン分野での応用を考えています。私たちはもはや、何かをつくるために、金属や布、塗料などの無生物の物質だけを扱う必要はありません。生きた細胞や細胞組織を材料として、何かを作り出すことができます。“自然の構成要素”である細胞は、私たちのこれからの創作やビジョンの構成要素になるといえるでしょう。
材料化学とバイオナノ分野の科学者や技術者と協力し、3Dスキャン、CAD、3Dプリントを使用して、細胞が骨へと成長するための3Dプリントの骨組みを作りました。 まず、手の骨格を3Dスキャンし、CADで最初のデザインを作りました。微細な柱構造を全体に適用し、骨の海綿部分のような骨組みのデザインを作りました。 3Dプリントの素材には、特別に配合したヒドロゲルを使い、毒性のない細胞増殖培地としました。そして、DLP、SLAプリント技術を使って、微細に3Dプリントを作成しました。 その後、成人ドナーから得られたヒト間葉幹細胞を3Dプリントのテストモデルに移し、成長を待ちました。 将来的には、骨移植片やその他の医療移植片用の組織を特注でデザイン・作成することにも応用できるかもしれません。
3D printer, 3D Modeling and Design Software
JUDGES, COMMENTS
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田中浩也
慶應義塾大学環境情報学部教授
SFCソーシャルファブリケーションラボ代表生体素材とFABの融合を象徴的に示した作品であり「実験性」に溢れた生のままの表出であることを評価しました。
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Mitchell Joachim
Terreform ONE 共同創設者
ニューヨーク大学准教授プロジェクトの裏にある探求は驚くほど深く、生体素材によるデザインにまで広がっています。このプロジェクトは、工業向けモノづくりプロセスが、心躍るバイオハッキングや合成生物学の領域へと移行していくことを示しています。Karleさんは、Within Lab開発の複合ソフトウェアを使用して骨組織を再構築し、人工的に製造していますが、その使い方は驚異的です。これまでに見てきたなかでも、最もクオリティの高いプロジェクトのひとつだと思います。このようなプロジェクトの場合、多くは自然をコピーしているだけで、装飾品止まりになりがちですが、本作品は本物の幹細胞で人間の手の骨を再現するという、斬新な骨のプリントシステムを生み出しました。プロジェクトに掛けた努力や自己鍛錬だけでも大変に素晴らしく、真のアーティストによる秀逸な作品といえるでしょう。
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Cleo Huet
デザイナー
Haute Ecole des Arts du Rhin 教授手は人類史上初めての道具であり、モノづくりの象徴でもあります。このプロジェクトは、技術が単なる道具ではなく、アートリサーチとの明らかな連関を持つような進化のポテンシャルを訴えています。アートやデザイン、テクノロジーの間にある関係性を豊かに描きだしており、非常に評価できます。
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Julia Cassim
京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab. 特任教授科学や感情という複雑なものと、美しさが見事に合わさった、心打つ詩的な作品だと思います。
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福原志保
アーティスト
BCL 共同創設者 、Poiesis Labs CEO細胞培養は、バイオテクノロジーの分野でもバイオアートでも以前から積極的に検討されてきた領域です。この作品は、手を培養することで、生命感を表現することに成功していると思います。しかも、一方で骨ということで死を感じさせつつ、他方で細胞培養によって生について感じることができます。生と死は別々のものではなく、パラレルに存在するものなのだということを表していると思います。